第20回 卒業制作展 学生インタビュー(1)
「生きること 」
内野友恵さん(アート表現コース)
「生きること 」
内野友恵さん(アート表現コース)
常葉大学造形学部では、2024年1月26日(金曜日)~28日(日曜日)の日程で、第20回卒業制作展を開催いたします。卒業制作展へ向け、毎日作品と向き合っている4年生に卒業制作に関するインタビューを行い、連載記事として掲載することとなりました。
今回の取材は「生きること」を制作した内野友恵さんです。内野さんは、自己確認をテーマとして複数の女性を油絵で描きました。自己確認をテーマに取り上げた理由や、作品を見る人に伝えたいこと、卒業制作への熱意を伺いました。
今回の取材は「生きること」を制作した内野友恵さんです。内野さんは、自己確認をテーマとして複数の女性を油絵で描きました。自己確認をテーマに取り上げた理由や、作品を見る人に伝えたいこと、卒業制作への熱意を伺いました。
「なぜ私は作品制作をするのか」が自己確認となる
熱心に質問に回答してくださる内野さん
内野さんは自己認識というテーマで、生きることを表現するために描いています。
元々、抽象画の表現を試みていた内野さんは、「なぜ私は作品制作をするのか」と疑問を持ちました。自分自身に問い続けた結果、内野さんにとって絵画はないよりもあったほうがいい存在であることに気がつきました。そして、絵画の存在意義は自己を表現する手段であると認識し、自己確認というテーマに繋がることになりました。
内野さんが作品に込めた「生きること」は二つあります。一つは絵を描くことを通して自己確認すること、もう一つは女性として生きることです。内野さんは女性として生きていますが、女性らしさに執着できないというギャップも抱えています。そのため、作品には自身から程遠い存在を描きました。それを描くことによって女性らしさとは何かを自分に問いかけました。
元々、抽象画の表現を試みていた内野さんは、「なぜ私は作品制作をするのか」と疑問を持ちました。自分自身に問い続けた結果、内野さんにとって絵画はないよりもあったほうがいい存在であることに気がつきました。そして、絵画の存在意義は自己を表現する手段であると認識し、自己確認というテーマに繋がることになりました。
内野さんが作品に込めた「生きること」は二つあります。一つは絵を描くことを通して自己確認すること、もう一つは女性として生きることです。内野さんは女性として生きていますが、女性らしさに執着できないというギャップも抱えています。そのため、作品には自身から程遠い存在を描きました。それを描くことによって女性らしさとは何かを自分に問いかけました。
この作品を見る人には、女性の解釈を広げてもらいたい
この作品は、グスタフ・クリムトの「女性の三世代」という作品をオマージュしています。原作は三人の女性を、作品上から老年期、若年期、幼年期として描いています。
見せていただいた制作中の作品
しかし内野さんの作品では、過去である一番若い存在は、死体のように表現されています。「過去はあくまで終わったことであり、未来の方が明確である」というのが内野さんの私感です。過去のことは考えても仕方がない、という人生観が表されています。
「私は過去をあまり引きずりたくないタイプで生きてきたのですけど、でも実際に描こうってなった時に、意外と引きずっていることに気づいてしまいました。」
はじめ、内野さんは「女性の三世代」の三人を描こうと考えていましたが、キャンバスには三人以上描かれています。クリムトの作品から更に女性の自信や後悔を新しく表現したいと思い直し、女性の背中を入れたり、登場人物が増えたりしました。内野さんは「多分、自分は左上の未来の人です」といいました。未来の女の人が影からずっと死体の方に向かって余韻をひいてしまっているイメージが感じられます。
「見る人が、描かれている女性に対しての解釈を広げてもらいたいと思っています。」
この作品を見る人には、描かれた女性がどのように見えるかを考えてみてほしいです。内野さん自身は「女の人ってこんな感じだよね」という偏見で女性像を描いています。しかし、見る人々はこれらの女性に対して共感を得るかもしれないし、反発を得るかもしれません。例えば、内野さんは老年期の女性は母性や子供に対する一途な思いがあるように描きましたが、人によっては「未来に向かっている」とも「こんな体勢息苦しいでしょう」とも受け取ることができると思います。一つ自分の解釈を持つと同時に、その解釈をさらに広げてみてほしいです。
「私は過去をあまり引きずりたくないタイプで生きてきたのですけど、でも実際に描こうってなった時に、意外と引きずっていることに気づいてしまいました。」
はじめ、内野さんは「女性の三世代」の三人を描こうと考えていましたが、キャンバスには三人以上描かれています。クリムトの作品から更に女性の自信や後悔を新しく表現したいと思い直し、女性の背中を入れたり、登場人物が増えたりしました。内野さんは「多分、自分は左上の未来の人です」といいました。未来の女の人が影からずっと死体の方に向かって余韻をひいてしまっているイメージが感じられます。
「見る人が、描かれている女性に対しての解釈を広げてもらいたいと思っています。」
この作品を見る人には、描かれた女性がどのように見えるかを考えてみてほしいです。内野さん自身は「女の人ってこんな感じだよね」という偏見で女性像を描いています。しかし、見る人々はこれらの女性に対して共感を得るかもしれないし、反発を得るかもしれません。例えば、内野さんは老年期の女性は母性や子供に対する一途な思いがあるように描きましたが、人によっては「未来に向かっている」とも「こんな体勢息苦しいでしょう」とも受け取ることができると思います。一つ自分の解釈を持つと同時に、その解釈をさらに広げてみてほしいです。
卒業制作は正直、心が折れそう。でも……
内野さんは今回初めて150号(1,818×2,273mm)というサイズに挑戦しました。インタビュー中、現在の心境を吐露してくださいました。
「正直、結構心が折れそうです。自分の心の移り変わりをこの150号というサイズにぶつけた時に、『うわ、自分頑張れ。』みたいな気持ちになります」
初期構想では女性を描くつもりはなかったと言います。抽象的な心象風景として部屋のような自分の空間を描いて、自分が生きることを表現しようとしていました。しかし指導教員のアドバイスによって部屋にこだわる必要はないと方針をあらため、自己の空間を描くことから、社会性を強くし、自分を客観視するという考え方に行き着きました。もっと具象的にきちんとした題材を描きたいと考え直し、今の表現に変えました。
そうすることで、自分について掘り下げることができたそうです。一年間という長い期間、自分と向き合いつつ制作することで、「自分ってなんだろう」「自分ってどういう考え方をする人なのだろう」と客観的に見ることができるようになっていきました。そういう意味では、内野さんのテーマである「自己確認」は成功しているのではないでしょうか。
内野さん、貴重なお話をありがとうございました。
「正直、結構心が折れそうです。自分の心の移り変わりをこの150号というサイズにぶつけた時に、『うわ、自分頑張れ。』みたいな気持ちになります」
初期構想では女性を描くつもりはなかったと言います。抽象的な心象風景として部屋のような自分の空間を描いて、自分が生きることを表現しようとしていました。しかし指導教員のアドバイスによって部屋にこだわる必要はないと方針をあらため、自己の空間を描くことから、社会性を強くし、自分を客観視するという考え方に行き着きました。もっと具象的にきちんとした題材を描きたいと考え直し、今の表現に変えました。
そうすることで、自分について掘り下げることができたそうです。一年間という長い期間、自分と向き合いつつ制作することで、「自分ってなんだろう」「自分ってどういう考え方をする人なのだろう」と客観的に見ることができるようになっていきました。そういう意味では、内野さんのテーマである「自己確認」は成功しているのではないでしょうか。
内野さん、貴重なお話をありがとうございました。