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Vol.47


コロナ禍のもとで「ひきこもり」について考える(連載全3回)
(第2回)ひきこもり事情の国際文化比較(日本とフィンランド)

はじめに
 こんにちは。第1回目の講座では、ひきこもり状態の人たちが日常生活のなかで抱えているさまざまなや悩みや不安の背景について、また、それらから推察できる支援の在り方について考えました。ところで近年、諸外国においても日本と同様に、社会参加ができず家庭にひきこもる若者たちの増加が指摘され始めており、日本の「ひきこもり」現象が、もはや日本特有の問題ではなくなってきています。とはいっても、諸外国のひきこもり事情については、日本ではほとんど紹介されることがありません。そこで、第2回目の本講座は、「ひきこもり」現象が社会問題化しはじめている諸外国のうち、フィンランドのひきこもり事情を取り上げ、日本、フィンランド両国の社会や文化との比較を交えながら、グローバルの視点から「ひきこもり」について考えていきたいと思います。

欧米の人たちの持つ日本の「ひきこもり」観
 私は数年前よりフィンランド人の研究者とともに、日本とフィンランド両国の「ひきこもり」への支援情報のあり方についての国際共同研究を行ってきました。その研究の関わりあいのなかで、フィンランドのある大学にて、メディア学を学ぶ大学生に対して日本の「ひきこもり」事情に関する講義をする機会をいただきました。講義のあとの質疑応答ではフィンランドの大学生たちから、フィンランドでは日本の「ひきこもり」現象がかなり偏った見方をされているなあ、という印象を強く受ける質問が多く出ました。フィンランドの大学生が持っている偏った日本の「ひきこもり」観としてもっとも目立ったものが、ひきこもりイコール若者だ、という「ひきこもり」観です。フィンランドでは、ひきこもり状態になる人は若年層が多いという認識があるのかどうか定かではありませんが、日本では中高年者のひきこもりの人たちが大変多いということを伝えると、フィンランドの学生たちは一様にとても驚いていました。その他の例として、ひきこもり状態とは精神疾患の状態と同じ状態だと捉えられていること、ひきこもり状態の人とアニメ、漫画、キャラクターなどといったいわゆる日本の「おたく文化」や、反体制色が濃いアングラ(アンダーグラウンド)文化とは密接なつながりがあると考えられていること、さらには、ひきこもり状態の人はひきこもりで居続けることを自らの自由意思で主体的に選択しているのだ、といった明らかに誤った「ひきこもり」観までさまざまなものがありました。このようなステレオタイプ的な日本の「ひきこもり」観をフィンランドの人たちが持っている理由については今後しっかり分析する必要があると思いますが、少なくとも私がこれまでお会いしたフィンランド以外の欧米諸国の人たちも、程度の差こそあれ、フィンランドの学生とほぼ同様の日本の「ひきこもり」観を持っているようです。

フィンランドのひきこもり事情
 それでは、フィンランドにおけるひきこもり状態の人は、一体どのような環境におかれているのでしょうか。結論から言えば、フィンランドのひきこもりの人たちがおかれている環境は、日本のひきこもりの人たちがおかれている状況とはかなり異なる、というのが私の印象です。両国のひきこもり事情について、とりわけその違いが顕著に表れていると私が感じるのは、ひきこもり当事者と家族とのかかわりあい方です。日本の場合、ひきこもり状態の人は自分の家族と同居している場合が多いと考えられますが、フィンランドでは、基本的に家族とは同居せず、自分でアパートメントなどを借り一人暮らしをしています。フィンランドでは、子が成人年齢の18歳に達したら、親から独立し一人暮らしを始めるのがごく一般的で、遅くとも21歳までには子は家を出ていくそうです。その際、家賃を含め生活費の支払いについても親からの仕送りはなく、自分で働き、得た収入で生活をしますので、経済的にも親からは自立します。このことは、ひきもっている状態の若者についても半ば当てはまり、彼らは家を出て一人暮らしをしている場合がほとんどで、家賃や生活費を親が負担することも基本的にありません。とはいっても、本人が就職して家賃や生活費を稼いでいるわけではなく、そこがひきこもりである若者とそうでない若者との大きな違いです。では、誰が彼らの家賃や生活費を払っているかというと、国が支払っているというのが実態です。つまり、フィンランドのひきこもり状態の若者は、物理的、経済的に親には依存していないものの、国の社会福祉サービスには依存しており、この点においては、日本のひきこもり事情と大きく異なります。

インターネット掲示板における投稿メッセージから読み取れる当事者のニーズの国際比較
 次に、日本とフィンランドの異なるひきこもり事情が、それぞれの国のインターネット掲示板上に投稿されたメッセージのなかではどのように表れているのか、について見ていきたいと思います。双方のひきこもり投稿者が書き込んだメッセージ内容を比較した結果、顕著にその違いが表れていたのは、家族関係について、経済・財政的な問題について、そして恋愛や結婚観についての三つでした。一つずつ見ていきましょう。まず一つ目の家族関係ですが、先にも述べましたとおり、フィンランドでは通常成人年齢に達した子は親元を離れ一人暮らしを始めます。このことはひきこもり状態の若者についても当てはまるため、親に対する要求や不満は彼らのメッセージのなかからはほとんど確認できませんでした。これに対し日本の投稿メッセージの内容には、家族や親に対する要求や不平・不満がもっとも顕著に表れていました。これはおそらく、日本の社会が、フィンランドと比べて、家族とのつながりを強く意識する社会であることに起因するのではないのかと考えられます。二つ目の経済的な問題にかかわる要求や不満ですが、これも先に述べましたとおり、フィンランドでは、ひきこもり状態の若者に対する国の社会福祉サービスがある一定程度充実しているため、彼らは就職せずとも国から定期的に支給された家賃や生活費の補助で生活していくことができます。このため、フィンランドの投稿メッセージに表れている経済的な問題にかかわる話題とは、専ら「自分が生活保護の対象になれるかどうか」とか、「どのように申請すれば家賃や生活費を支給してもらえるか」といった話題や相談が中心でした。それに対して日本のネット掲示板上では、「高齢になった親がいつまで生活費を出してくれるのか」と心配する内容の書き込みや、「アルバイトや定職を早く持ち、親から経済的に自立したい」といった切実な訴え、さらには「職を探す、定職を得るためにはどうしたらよいのか」という相談内容が多く書き込まれていました。最後の三つ目の恋愛や結婚観についてですが、フィンランドのひきこもり投稿者は、恋愛やセックスへの関心は非常に多く見受けられたものの、結婚それ自体への希望や相談はほとんどありませんでした。フィンランドでは法的な結婚をせずパートナーとして一緒に暮らしつづける若い世代のカップルが増えているそうで、若い世代を中心に結婚の役割が重要ではなくなり始めていること、フィンランドのひきこもり投稿者の結婚に対する薄い関心とのあいだには何らかの因果関係があるのかもしれません。それに対して日本のひきこもり投稿者の会話のなかでは、恋愛やセックスに対する話題や願望は、少なくとも直接的には表現されていない代わりに、結婚への願望が大変多く表現されていました。このことについても学問的な根拠はまったくありませんが、日本のひきこもり投稿者が描く将来の展望のなかでは、就職することも、結婚することも、本人が社会的自立を実現するための、いわば社会「公認」の重要な通過儀礼として捉えられていることに関係があるのではないのか、と私は考えています。

国際比較からわかる日本のひきこもり事情の問題点
 さて、こうやってフィンランドと日本のひきこもり事情や、両国のひきこもり投稿者のネット上に表れている話題や相談内容を比較してみると(1)、日本のひきこもり事情の特殊性や彼らが抱えている幾つかの問題・課題が浮かび上がってくることに気づきます。第一に、日本のひきこもり状態の人たちは、フィンランドの人たちよりも社会的自立を実現することに対して強い願望を持っていることが分かりました。第二に、にもかかわらず、フィンランドのひきこもり状態の人たちと比べて、社会的自立の実現性については、消極的かつ否定的である、ということも分かりました。実際、日本のひきこもりの投稿者がネット掲示板に書き込んだメッセージのなかには、「どうせうまくいかない」というあきらめの表現や、「このままの状態を続けたらどうなるのだろうか」という不安の感情表現が多く見受けられました。さらに投稿メッセージのなかには、真意のほどは書き込んだ本人にしかわからないのですが、人生に対する絶望感から「自殺したい」、「死にたい」という主旨の表現も多く見受けられ、このことから日本のひきこもり事情には、当事者本人の社会からの絶望的な孤立という問題が多く含まれていることが推測できます。加えて、日本では、ひきこもり状態の人の生活費を同居している親が負担していることや、私たち日本人の多くが共有していると思われる人生観の「あるべき」姿や典型的なライフコースという「目に見えない」規範意識の問題が根底にはありそうだ、ということも、フィンランドとは異なる日本特有のひきこもり事情として再確認することが出来ました。

むすびにかえて
 本講座では、フィンランドのひきこもり事情を取り上げ、日本のケースとの比較や両国の社会・文化との比較をとおして、グローバルな視点から「ひきこもり」について考えてきました。グローバルな視点を持ち特定の社会現象をみることは、諸外国の社会や文化への理解を深めることだけにとどまらず、諸外国の人たちの考え方やものの見方をとおして、実は私たちが属している社会や文化への理解を再確認したり、再発見したりすることだ、と私は考えています。そのような観点で、日本におけるひきこもり状態の人たちのおかれている環境や彼らが望む支援、抱えている悩みの一端をのぞくと、その背景には私たち日本人の多くが共有していると思われる人生観(結婚観、就労についての考え方や世間体。または、私(私たち)は「こうあるべきだ」という規範意識)が、ひきこもり状態の人たちのなかにも同じように存在すること、そして何よりも重要なことは、社会に対する「見えない」世間体や規範意識が、ひきこもり本人を必要以上に苦しめてしまっていることに、改めて気づかされるのです。

※第3回は、ひきともり当事者の持つ規範意識と「情報貧困」についてお話しする予定です。
執筆者 那珂 元
教育学部生涯学習学科 講師
(専門は図書館情報学)
〔参考文献〕
(1) HAASIO, Ari; NAKA, Hajime. Information needs of the Finnish and Japanese hikikomori: a comparative study. Qualitative and Quantitative Methods in Libraries, [S.l.], v. 8, n. 4, p. 509-523, dec. 2019. ISSN 2241-1925. http://www.qqml-journal.net/index.php/qqml/article/view/533 (参照2020-7-27).

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