谷 文晁
1763-1840 (宝暦13-天保11) 年
1763-1840 (宝暦13-天保11) 年
秋景山水図
1808 (文化5) 年
紙本墨画淡彩、軸装、1幅
165.0×88.0 ㎝
1808 (文化5) 年
紙本墨画淡彩、軸装、1幅
165.0×88.0 ㎝
谷文晁は江戸に生まれ、狩野派、中国画などさまざまなものを学び、更には西洋画や南画などにまで研鑽の手を広げていった。若い時には着色の中国画の影響を受け構築的で濃密な着色画を残している。この時代の作品は一般的には寛政文晁と呼ばれている。更に、晩年にいたると大胆な墨描の作品に転じた。文晁は江戸の大御所と言われ渡辺崋山をはじめ多くの画家を育てた。
典型的な水墨山水画である。下方には水辺が広がり、手前の岸辺には樹木が植わっている。右手の山肌には集落が見え、背後には巨大な主峯がそびえる。この何でもないごくありふれた山水画をひきしめるのは、画面左手に流れる小川の橋の上を歩く釣竿を手にする人物である。右手の集落に帰ることを暗示させるとともに大きな自然の中で人間の営みがどんなに小さいことかを教えてくれる。山肌や樹木に点を打つのは米点と呼ばれ中国画の伝統的技法である。肌色の代赭がわずかに施されている。文晁の水墨画の典型的な一例と言える。