渡辺崋山
1793-1841 (寛政5-天保12) 年
1793-1841 (寛政5-天保12) 年
蘆汀双鴨図
1814 (文化11) 年
絹本着色、軸装、1幅
103.0×36.8 ㎝
1814 (文化11) 年
絹本着色、軸装、1幅
103.0×36.8 ㎝
三河の田原藩士の家に生まれる。小さいときより画の才能があり、谷文晁などに師事し洋画の陰影法や写実的な描写を得意とした。特に人物描写にすぐれ鷹見泉石像(東京国立博物館蔵)は国宝に指定されている。晩年は身に覚えのない罪によって幕府に捕らえられ(蛮社の獄)最後は自決して果てる。
汀に羽を休める二羽の鴨を描く。背景にはどんよりとした空を横に掃いた墨描で示し、蘆を外隈によって描き出している。外隈の技法など一見すると琳派風にも見えるが鴨の羽の描写など細密をきわめ、彩色も濃い群青、緑青など来舶清人の沈南蘋風のものである。谷文晁に師事するのが文化六年、十七歳の時であるが、様々な技法を試みていたことが知られる。田原藩士として多忙な勤めの傍ら内職として絵画制作に励んでいた頃の作品である。