渡辺崋山
1793-1841 (寛政5-天保12) 年
1793-1841 (寛政5-天保12) 年
富峰驟雨図
1834 (天保5) 年
紙本墨画、巻装、1巻
79.0×115.6㎝
1834 (天保5) 年
紙本墨画、巻装、1巻
79.0×115.6㎝
画面右手に富士山を大きく描き、左手には木立の中に数軒の漁村を描く。画面の下方には広々とした水辺が広がる。小舟に櫓を操る漁師が小さく描かれる。富士山は薄暗い雲海の中に浮かび、激しい雨が右上から斜め左下へと吹き荒んでいる。
崋山は「山水空疎」といって山水画は観念的であり空疎であると言ってどちらかというと否定的な考えを持っていた。この作品は全くの空想画ではなく、富士山という実景を激しい雨中に描いている。単に富士山の美しさだけを描こうとする一般的な富士図とは異なる。
画面左上に「富峰驟雨図画為松風老人時天保甲午龍潜月崋山外史登」とある。松風老人のために天保5年11月に描いたとある。菅沼貞三常葉美術館名誉館長は松風老人は掛川の文人大庭松風であるとし、この作品は実景を脳裏に収めて即興的に制作したものとしている。