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「わからない」を超える


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何人かの大学生のみなさんは、早く専門的なことを学びたいと思っているかもしれません。しかし、この「学ぶ」とはいったいどのようなことなのでしょうか。「学ぶ」ということについては、いろいろな考え方があります。「学ぶ」という言葉は、まねるという言葉から来ていると言われ、人から教えられることや、まねることで身に着けていくという意味をもっています。そのため、学べたか学べてないかということは、それを身に着けることができたか、できていないかという点で評価されます。これまでの各教科のテストがそれに当たります。もちろん大学でも、学んだことを身につけたかどうかは重要なことです。しかし、それだけではありません。それでは「学ぶ」ということについて、どのような考え方があるのでしょうか。

学力には「学んだ力」と「学ぶ力」があることに注目してみます。「学んだ力」とは、すでに身につけた力のことです。その力はテストなどで評価することができます。つまり測定しやすい力です。受験勉強がこれに当たります。一方の「学ぶ力」は学習意欲や知的好奇心などのことです。これは測定しにくい力です。おそらく高等学校まで気にしてきたことは、「学んだ力」である知識のことだと思います。もちろん知識をつけることは重要なことですが、大学生活や社会生活で重要なことは、それだけではありません。高校までの勉強は教科書を読む、問題を解く、答え合わせをする、覚える、の繰り返しでした。大学ではそれ以外に、問題提起、論を深める、まとめる、自分なりの結論を出す、発表して納得させる、という思考が必要になります。この力は測定しにくい力です。そのために、大学での成績評価はわかりにくいと、学生によくいわれます。社会に出たら、いろいろな問題に対応しなければなりません。それには解答集があるわけではありません。大学時代にこの「学ぶ力」を十分に養っておく必要があります。しかも、学ぶべきことが決まっているわけではありません。大学生が通う塾があるわけでもありません。大学では、自由な場で自律的に学ぶことになります。社会に出てからの学びに備えるのです。高校までとは、かなり違った頭の使い方になるので、簡単なことではありません。わからないことにたくさん出くわすことになります。「わからない」状況は誰にとっても居心地の悪いものです。「わからない」ことから抜け出すには、「わかる」までとことん考え抜くことです。時間はかかっても、一歩ずつ考えを進めていくことになります。忍耐力が必要です。これができれば問題はないのですが、「わかる」という居心地のよい状態になるには、これしかありません。しかしながら、「わからない」から抜け出すために精神面を考慮して、一旦考えをやめてしまうこともあります。投げ出してしまうということではなく、一度、他の関連事項を勉強して、改めて考えるのです。大学での学びの目標の一つは「わからない」を「わかる」に変える経験をつみ、変える方法を学ぶことにあります。

以上のように、自分の「わかっている」ことと「わからない」ことの境界をはっきりと認識して、「わかっている」ことを土台にして、「わからない」ことを「わかる」に変えていく。この作業の繰り返しが、大学での「学び」です。したがって、学ぶほど「わからない」ことが次から次へと現れて、尽きることがありません。「わからない」ことが多くても恥ずかしいことではありません。「わからない」ことが「わかる」ということが大切であり、「わからない」状態に耐えられる人だけが、先に進んでいけるのです。

 ― Beyond the Limits ―

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