「ぬいぐるみの保育園」があることをテレビで紹介していました。え、なんのことと一瞬とまどいました。
自分がだいじにしている「ぬいぐるみ」を通わせる保育園があるとのこと、子どもが持っているものではなく、大の大人が大切にしている「ぬいぐるみ」です。その「ぬいぐるみ」が通う保育園が存在するというのです。保育園だから有料です。
ぬいぐるみの〇〇ちゃんが一人でかわいそうだから、ときどき、「保育園」に通うとのこと。保育園で、お給食を食べたり、みんなでお遊戯をしたり、お昼寝をしたりするようです。この状況を「ぬいぐるみの保育士さん」が写真にとって「ぬいぐるみの親」に渡しています。
「今日は、みんなと楽しく遊べてよかったね」ということらしいのです。40歳代くらいの男性が自分のだいじにしている、ぬいぐるみに向かって「楽しかったかな?」とか言っていました。そうとう気色悪いと感じてしまいました。なんかへんだぞ、日本人はどうなってきたのでしょうか。
筆者が所属している日本こども虐待防止学会では、とりわけ人間の根本の安定感、自己肯定感の基礎をつくる概念として「愛着」という概念があります。人と人のこころの絆、親子のこころの結びつきといった関係性を表す言葉です。
かつて、アメリカの成人と、日本の成人がもっているぬいぐるみの数が、アメリカのほうが多いという話題を聞いたことがあります。乳児期から親と離れて寝ることになっているアメリカの大人のほうが愛着の安定度が低いことの現れと言われていました。筆者のかかわりのある児童養護施設の子どもたちのベッドのまわりがぬいぐるみで囲まれている場面はよく見かけます。児童養護施設に保護されている子どもの多くが虐待の被害者で「愛着」の傷つきが大きい子どもたちです。そう考えると、「ぬいぐるみの保育園」現象は、愛着の薄まってきた、日本人の大人にとって必要な愛着の対象なのかもしれません。
自分がだいじにしている「ぬいぐるみ」を通わせる保育園があるとのこと、子どもが持っているものではなく、大の大人が大切にしている「ぬいぐるみ」です。その「ぬいぐるみ」が通う保育園が存在するというのです。保育園だから有料です。
ぬいぐるみの〇〇ちゃんが一人でかわいそうだから、ときどき、「保育園」に通うとのこと。保育園で、お給食を食べたり、みんなでお遊戯をしたり、お昼寝をしたりするようです。この状況を「ぬいぐるみの保育士さん」が写真にとって「ぬいぐるみの親」に渡しています。
「今日は、みんなと楽しく遊べてよかったね」ということらしいのです。40歳代くらいの男性が自分のだいじにしている、ぬいぐるみに向かって「楽しかったかな?」とか言っていました。そうとう気色悪いと感じてしまいました。なんかへんだぞ、日本人はどうなってきたのでしょうか。
筆者が所属している日本こども虐待防止学会では、とりわけ人間の根本の安定感、自己肯定感の基礎をつくる概念として「愛着」という概念があります。人と人のこころの絆、親子のこころの結びつきといった関係性を表す言葉です。
かつて、アメリカの成人と、日本の成人がもっているぬいぐるみの数が、アメリカのほうが多いという話題を聞いたことがあります。乳児期から親と離れて寝ることになっているアメリカの大人のほうが愛着の安定度が低いことの現れと言われていました。筆者のかかわりのある児童養護施設の子どもたちのベッドのまわりがぬいぐるみで囲まれている場面はよく見かけます。児童養護施設に保護されている子どもの多くが虐待の被害者で「愛着」の傷つきが大きい子どもたちです。そう考えると、「ぬいぐるみの保育園」現象は、愛着の薄まってきた、日本人の大人にとって必要な愛着の対象なのかもしれません。
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