リッチフィールドの旧教会
私の専門は18世紀イギリス文学ですが、特にドクター・ジョンソンという作家を研究してまいりました。ジョンソンはイギリス中西部のリッチフィールドという町で生まれました。リッチフィールドはバーミンガムの東にある小さな町で、3本の尖塔のある大聖堂で有名です。ジョンソンはこの町の本屋さんの息子として1709年9月に生まれました。毎年9月に、ジョンソン像の立つ町の広場で、彼の生誕を祝って記念式典が行われます。私もかつてその式典に参加したことがあります。その広場の西端に今は使われていない教会が建っております。
この教会の壁に記念板(写真参照)がありました。何の気なしにその記念板に目をやりましたところ、“EDWARD ・・・was burnt at the stake in this market place for heresy 11th April 1612 being the last person in England so to die”と書かれてありました。「イギリス基礎知識」などの授業で、16世紀のメアリー一世(在位:1553年−58年)女王がプロテスタントを火あぶりにし、そのためにBloody Mary(血のメアリー・血まみれのメアリー)と呼ばれることになった話をしますが、その火あぶりの刑が実際に行われた場所に偶然出くわしたのです。遠い異国の歴史的な出来ことですが、あー、こんな小さな町でも火あぶりの刑があったのかと、妙に生々しさを感じました。あわせて、Mary亡き後もしばらくは火あぶりの刑があったこともわかりました。カクテルのブラディ・メアリーはこの女王のあだ名にちなむものとされております。
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